タレント名 | 板垣退助 |
生年月日 | 1837/05/21 |
職業 | 歴史上の人物 |
本質 | T+チータ |
表面 | 子守熊 |
意思 | 狼 |
レール | ワイルド |
能力 | b-d |
プロフィール
日本の武士、政治家。
土佐藩(現在の高知県)出身。
本名は板垣正躬(いたがき まさみ)。
戊辰戦争では、土佐藩兵を率いて各地を転戦し、新政府軍の勝利に貢献した。
明治維新後、新政府の参議となるが、征韓論をめぐる意見の対立から下野。
1874年、「民撰議院設立建白書」を提出し、国会の開設を主張。
これは、日本の自由民権運動の始まりとなり、日本の近代化に大きな影響を与えた。
その後、自由民権運動の中心人物として、自由党を結成。
言論や集会の自由、国会開設を求めて、全国で遊説活動を行った。
1882年には、岐阜で暴漢に襲われるも、「板垣死すとも自由は死なず」という言葉を残し、自由民権運動のシンボル的存在となる。
その後、衆議院議員や内務大臣などを歴任。
立憲政友会の結成にも関わるなど、日本の政党政治の発展に貢献した。
晩年は、自由民権運動の功労者として、多くの人々に敬愛された。